方言札とその歴史的背景

  • 2019.12.21 Saturday
  • 20:01

 

 

■ 沖縄はなぜ「うちなーぐち」を撲滅しようとしたか。

 

1609年(慶長14年)3月4日、島津家久は樺山久發鯀軋臂とし、約三千の兵と80余艘の軍船を差し向ける。4月1日には王都首里城に達す。尚寧王は開城し、和睦を申し入れ、琉球は薩摩藩の支配下に置かれる。4月4日、尚寧王、首里城を明け渡す。

 

琉球王国は幕藩体制に組み込まれながら、中国とは冊封の関係を維持しつつ1868年の明治を迎える。

 

1872年(明治5年)に琉球藩となり、1879年(明治12年)沖縄県となる。これを廃藩置県または琉球処分と云い、500年にわたる琉球王国歴史は終焉する。

 

翌1880年、明治政府は沖縄に小学校、中学校、師範学校を設置。本土と同じ共通語を修得させるため、「沖縄対話」の会話教本を出版。方言取締令を出して、方言の矯正と標準語の強制をする。

 

1895年(明治28年)、日清戦争で日本の勝利により、琉球人も次第に日本人同化の風潮が流れる。日露戦争後、1898年(明治31年)に徴兵制が施行されると「沖縄人は日本人である」と考えた沖縄の有識者たちは、先導して学校教育における標準語励行を推進する。

 

明治末から沖縄の学校で標準語励行を強制する為に罰の方法として「方言札」がある。「標準語励行運動」は、「標準語撲滅運動」へと変化し、沖縄文化への蔑視を生む。1940年(昭和15年)、に「方言論争事件」が起きた。この「標準語励行運動」は、地域によっては第二次大戦後の昭和30年頃まで行われた。(※ 参照:「方言論争事件」

 

日常生活の中に標準語が浸透していき、1950年代末の調査では、約半数の中学生が日常生活にも「うちなーぐち」を使わないと答え、それ以降、日常言語の共通語化が進んでいった。

 

(「しまくとぅば講座」12/20&21日の資料から。小禄南公民館にて、講師:上地和夫先生)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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