瞑想

  • 2011.11.22 Tuesday
  • 17:28
JUGEMテーマ:健康

 

私がN.D.ウォルシュの著書「神との対話」と出会ったのが、1998年3月15日だ。かなりの衝撃をうけた。以来、彼のシリーズは2冊ほどを除き殆ど読んだ。・・・読んでいる。

前職の大学に居た頃、県外への出張のたびに私は、対話シリーズの文庫本を持ち歩いていたほどだ。何度読み返してもその度に気づきがある、正に再読に耐えうる書籍たちだ。


さて、2,3ヶ月前から思うところあり、本格的に瞑想を取り入れようと思い立ち、今現在、我流ながら日々瞑想を試みている。


で、何故か時を同じくして、私はまた、N・ウォルシュの本を読み始めた。


・・・出てきた、瞑想に関する個所が。以前読んだ時には何の注意もしなかった。今はす〜と入ってくる。

 

 「でも、どうすれば内側に入れるのか、もう一度教えてください。どうすれば自分の外側に何も必要でない自分を知ることができるのですか?」


”静かにしていること。静けさの中で、只自分とともにいること。それを、いつも心がけなさい。毎日、そうしなさい。できれば、毎時間、すこしでもそうしなさい。”

”ただ、止めること。すべての行為を止めることだ。すべての考えを止めることだ。しばらくの間、ただ、「存在」しなさい。ほんの一瞬でいい。そうすれば、すべてが変わる。”

”毎日、夜明けの一時間を自分自身に与えなさい。その聖なる時間に、自分と出会いなさい。それから、一日に取り組みなさい。そうすれば、貴方はちがった人間になるだろう。”


「瞑想のことですね。」


”レッテルや方法論に捉われないことだ。宗教はそうしてきた。教条(ドグマ)もそうしたがる。だが、レッテルをつくらず、ルールをこしらえあげようとしないことだ。あなたが、瞑想と呼ぶものは、自分自身とともにいることに、従って、最終的に自分自身になることにすぎない。”

”方法はたくさんある。人によっては、静かに座ってあなたが「瞑想」と呼ぶことをする。一人で自然の中を歩くひともいる。”

”多くの僧侶達が発見したように、石の床にはいつくばってブラシでこすることも、瞑想になりうる。知らない者は僧院にやってきてこの労働を見て、何と厳しい生活かと思う。だが、僧侶達は深い幸せと深い平安を感じている。床をこするのを止めたいと思わず、もっともっと床をこすりたいと考える。”

”もっと床をこすらせて下さい。もっとブラシを与えて下さい。もう一時間はいつくばり、顔が触れんばかりの姿勢で床をこすらせて下さい。貴方が見たこともないほど、きれいな床にしますから。そうすれば、私の魂がきれいになるのです。幸せには自分以外の何かが必要だという考えを、きれいにぬぐいされるのです。”

” ・・・・奉仕は、深いかたちの瞑想になりうるのだよ。”

 

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