8月15日、今日の日に思う

  • 2020.08.15 Saturday
  • 14:02

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

今日の新聞を見て感じたことだが、似たような境遇の人もいるものだと思った。

 

 

私には叔父が二人いた。

 

一人は終戦の年1945年7月、フィリピン・ダヴァオ州ウマヤンで戦死。24歳。もう一人の叔父も同年6月、ここ沖縄の糸満高嶺村にて戦死。18歳。

 

24歳と18歳。まさに青春や人生を謳歌する年頃に命を絶たれた。

 

 

日本が降伏したのが8月、せめてもう数か月前に国の決断が早ければ、彼らは死なずに済んだ。そういう人たちがどれ程いたのだろうと思うと胸が痛む。

 

 

長男であった私の父は生前、殆ど戦争のころの話しはしなかった。母も同様だった。僅かな叔父たちの情報は糸満「平和の礎」の「検索システム」で知った。

 

今だから思うのだが、父や母は拒んでもしつこく聞くべきではなかったか。後悔先に立たずとはよくいったものだ。

 

 

 

親父は姉の出生後、昭和18年頃出稼ぎでフィリピンに渡り、現地で兵隊として召集されたようだ。親父にもしものことがあったら、今頃私たち5人姉兄弟はこの世に存在しなかったのだ。(母にもおなじことが言える。)

 

 

戦に突入した後のフィリピンでの生活は相当過酷な日々であったに違いない。私の父母がそうであったように、戦を生き抜いてきた人たちの多くが、戦のことは語らなかったのだ。

 

 

父方の祖父は小禄村にて戦死。享年61歳。23歳の母は4歳の姉と62歳の祖母を連れ、南部を逃げ回り辛うじて生き残った。以前にも書いたが、祖父が亡くなった6月同日、その五年後に私はこの世に生を受けた。

 

叔父二人の写真は一枚ずつあるが、祖父は写真さえない。

 

 

 

母の洗骨

  • 2020.08.06 Thursday
  • 19:16

JUGEMテーマ:慣わし・風習

 

洗骨って一発変換できないんだ。

 

何故なんだろうね? 日常的に使用されてないってことか?

 

いやいや、そうでもないだろう。結構、普段我々に馴染みのない語だって、漢字変換ででてくるんだから。

 

何だろうね。どういう基準でなんだろうね。

 

 

 

 

さて、今時の「洗骨」とは。

地域や門中によっては当然違いはあると思われる。我が門中にしたって儀式というか手順は、以前と微妙に違っていたりしている。

 

「7/29のウチナーの風習」でも少し書いたが、母の納骨の後、次、門中の誰かが亡くなった時には母を洗骨し、次の人にその場所をゆずらねばならない。(墓穴入口に位牌、骨壺、お酒等を置く)

 

 

2017年に亡くなった兄の場合は私と末弟がこの作業に関わったが、今回は貴重な機会だからと、私の息子や二人の弟の息子たち三人にやってもらった。

 

 

八月二日、朝9時半に墓に到着。隣の墓を含めて雑草とりや掃除。

 

 

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先ずは、墓の入口を蓋している「チョ〜〜」重たい墓石をどかす。この作業がこれまた大変なのだ。墓穴と石の隙間を密封していた紙粘土(以前はセメントや漆喰を使用)を取り除く。それから、その重たい石をどかす。これだけで1時間弱かかった。

 

 

 

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(入る時は頭から、出て来るときはお尻から。出て来るときは”ゲーン又はサン”で身体をはたく)

 

 

墓に入り母の骨壺を持ってくる。そして泡盛で頭の骨を浸す。

 

頭の骨のみ指定の場所(厨子甕)に入れ、残りの骨は皆と一緒のコーナーに散骨する。

 

骨壺や箱などは持ち帰り処分しなければならない。

 

 

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その後、予定よりやや遅れ11時半ごろ、納骨の儀式が滞りなく行われ・・・

 

 

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私たちは再び、墓の入口を閉じる。

 

 

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朝9時過ぎに我が家の前に集まり、全作業が終了したのが午後1時前か。

 

 

貴重な体験故か、我々の子供たちは何ら嫌がる様子もなく、暑いさなか、粛々と作業をこなしていたことに正直安堵した。

 

 

 

一路 ヤンバルへ(1)

  • 2020.07.31 Friday
  • 19:58

JUGEMテーマ:ドライブ

 

世間では連休の先週24と25日、二人の娘夫婦と私等夫婦、計6名で本島最北端の辺戸へドライブした。(帰りは恩納村ペンションで一泊)

 

さて、私のホンダの軽も使うことにしたのだが、心配していたのが二つ。

 

一つは四人乗車での馬力。登坂力がどうなのか? 

 

もう一つはエアコンの効き。夏真っ盛りの好天日での車内の快適さ。

 

 

 

 

結論。

 

あっぱれ あっぱれ 中古の軽と言えども見事にクリアしたのだ。ヽ(^。^)ノ

 

 

驚きだ。今時の軽乗用車はホントにバカにならない。軽乗用車に対する認識を改めた。

 

 

 

母が逝って・・・

  • 2020.07.29 Wednesday
  • 20:06

 

おふくろが亡くなったのが5月末。

 

世間は、世界はコロナコロナの大騒動の真っ盛り。

 

 

 

おふくろは99歳老衰で逝った。

 

倒れてから四年半もの間、寝たきりで意思の疎通もできなかった。

 

幸い、末弟が勤めていた病院が母を受け入れてくれた。感謝に耐えない。

 

 

ところがところがである。

 

兄が病床のおふくろより先に逝ってしまったのである。2017年2月だ。

 

 

本来、兄が継ぐべきだった位牌や財産等、残された我々が何とかしないといけなくなってしまった。

 

 

 

5月末以来、この間、次男坊である私、\(゜ロ\)(/ロ゜)/  である。

 

 

 

奇妙な一致

  • 2020.07.17 Friday
  • 18:16

JUGEMテーマ:スピリチュアル

 

母が亡くなった。5月のことである。大分前に親父を亡くしたが、やはり5月だった。

 

二人とも5月生まれだ。

 

 

 

 

私は6月生まれだが、父方の祖父が亡くなったのが1945年終戦の6月、私の生れ日と同日。その5年後の同月同日に私は生まれた。

 

3年前に急逝した長兄の生まれ月も6月だが、昨年、6月同日に初孫を授かった。

 

兄が亡くなった月日がカミさんの誕生月日と同じ。

 

私の叔父が終戦の年にわずか18歳で沖縄で亡くなったが、その月日が兄の生まれ月日と同じ。

 

 

 

六月という月はやはり特別だ

  • 2020.06.06 Saturday
  • 10:55

JUGEMテーマ:人生論

 

今年の父の日は今月21日らしい。偶然だが、その日は我が人間塾を公に起ち上げた日でもある。今年は十周年を迎え、年内に記念祝賀会演武会も計画している。

 

小生の生まれ月である六月に、第二(第三か?)の人生とでも言うべき「沖縄剛柔流空手人間塾」が生まれたというのもまた面白い。この月に人間塾をスタートしたのは、たまたま道場建築の進捗状況によったもので、何も計画的に進めたわけではない。

 

 

 

 

そして、この六月には新たに記念すべきことが加わった。それは昨年のこの月に「初孫」を授かったことだ。五人姉弟の中で唯一、私だけが未だだったので、喜びも又格別だった。

 

初孫が私と同じ六月なのだ。これを喜ばずして何と言おう。^^; 

 

只、残念なのは、息子夫婦は県外にいるので、いつでも気楽に会えるというものでもない。そういう意味では通常のメールやFaceTimeより、LINEは使い勝手が良い。

 

 

 

 

我が人間塾は10年目を迎えるが、私自身は古稀を迎えることとなった。

 

人生、七十年。あっという間だ。

 

正直のところ、とても自分がこの歳になったという実感は余りない。確かに一昔まえよりは元気な高齢者は多い。ただ、そうであっても、我々の先輩方も皆、精神的には「まだまだ」という気はあったのだろう。

 

 

 

自分が若い頃は、60、70代の方々を見る目というのは、やはり「年寄り」、今でいう「高齢者」であった。然るに、自分がこの歳になってみると、いやいや、やはり「まだまだ」だという気持ちは強い。

 

例えば、新聞等のニュースで、事件に関わった人が「70何歳とか」となった場合、やはり「年寄り」というイメージが先に来るのではなかろうか。

 

 

 

人間とは実に勝手なもので「自分は別」である。

 

 

今年を振り返ってみて・・

  • 2019.12.28 Saturday
  • 19:02

JUGEMテーマ:家族のこと

 

 

 

今日は28日なので後三日ほどあるが、個人的には大きな変化はないと思うので、今年一年を振り返ってみたい。

 

 

 

 

今回は私ごと。

 

やはりトップにあげたいのは、次男坊が結婚し子供を授かったということ。待ちに待ったる「初孫」である。ヽ(^。^)ノ

 

次は、次女が入籍した事。彼氏と一緒に暮らしていたが、なかなか吉報(親にとって。。。)が聞けなかったので、正直、やきもきしていた。

 

これで、四人の子供たちのうち、三人が所帯をもった。(一人残っているが、こっちは奇跡でも起こらない限りは無理筋である・・・。)^_^;

 

 

最後になるが、今年も長女夫婦のお蔭で、カミさん共々「家族旅行」ができた。今年で4回目になる。娘婿にはとても感謝している。旅行プランから現地でレンタカーを使用しての観光地巡り、全て仕切ってくれた。

 

 

 

 

さて、最後の最後になるが、我が与儀ファミリー(婿、嫁含め)みんな、大きな怪我もなく病に倒れることもなかった。誠に有り難い。これから数年、数十年何かが起こるかもしれないが、とにもかくにも「いま げんざい」に感謝したい。m(__)m

 

(続く)

 

とくべつな日・・・

  • 2019.12.10 Tuesday
  • 23:24

JUGEMテーマ:グルメ

JUGEMテーマ:家族のこと

 

 

今日12月10日は私とカミさんにとってはとくべつな日。

 

 

ささやかな外ランチ。

 

 

 

 

 

11月30日は私たち夫婦にとってとくべつな日だった。

 

次女の婿さん家族との初めての食事会。

 

先方はご両親、兄夫婦と妹。こちらは長女夫婦と私たち。

 

 

 

 

次男坊が帰省し、嫁さんと初孫に会った日が9月21日。

 

 

 

新たなご縁に・・・

 

いっぺー にふぇーでーびる m(__)m

 

 

命の洗濯をしてきました

  • 2019.11.09 Saturday
  • 11:11

JUGEMテーマ:旅行

 

 

 

10月31日の深夜便で中部国際空港へ着いたのは零時前。予想していたほどには寒くは無かった。

 

娘夫婦と私等夫婦の旅行も今年で4回目になる。

 

 

例年どおり、娘婿がレンタカーを借りての全行程何百キロのドライブ旅行である。(白川郷、飛騨高山、平湯温泉、上高地、恵那峡遊覧、熱田神宮などなど。)

 

 

初めての土地を車で移動するにはどうしてもカーナビに頼らざるを得ない。

 

 

・・・のだが、何とレンタカーのナビがまともに機能しなかった・・のだ。\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

「レンタカーのナビがオカシイなんて・・・普通、有り得ないだろう。」<`ヘ´>

 

しかしながら、二人は二台のスマホを駆使しながら全行程を乗り切った。おそるべし現代のスマホ。おそるべし娘夫婦。

 

 

帰ってきてからネットでチェックしてみた。

 

名古屋→白川郷(155Km)

白川郷→平湯温泉(84Km)

平湯温泉→恵那峡(136Km)

 

おそらく最短の距離だろうが、実際のところ、我々は行きつ戻りつの迷いながらのドライブで距離も時間も相当食った。

 

 

そういえば岐阜を中心に田舎の道路を走っていて気付いたのだが、コンビニはファミマとローソンはまあまああったのだが、圧倒的にセブンイレブンが少なかった。(因みに、ファミマやローソンでは私の持っている”イオンのワオン”は使えるが、セブンでは使えない。)(^_^;)

 

 

沖縄で生まれ育った私にとって人生初の多くの、そして長いトンネルに遭遇した。トンネルを出たかと思えば又トンネルが延々と・・・。一番驚いたのは沖縄では想像もできない長いトンネル、最長で何と11Kmもあった。

 

因みに那覇から糸満市まで12Km余ですよ。その間、ず〜とトンネルの中を走っているのです。いやあ、沖縄では考えられません。

 

 

 

 

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(白川郷)

 

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たまたま一軒の家で屋根の葺き替えが行われていた。案内やチラシでは村人総出で作業にあたるらしいが(結と云うらしい)、見たところ、どうも業者のような感じがした。(やはり、時代ですかね)

 

 

 

 

 

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高山の”古い町並み”に行ったのが11/2の土曜日だったせいか、人ひとヒトで昔ながらの狭い道は随分混んでいた。

 

 

 

 

今回は10/31〜11/4までの旅程だったが、名古屋も岐阜も昼間の最高気温が20〜21℃の陽気で、歩いているとやや汗ばむほどだった。しかし、流石に上高地は寒かった。もっとも2時間近く歩いた後はかなり身体は暖かくなってはいたが・・・。

 

 

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(恵那峡遊覧)

 

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(熱田神宮近くにある、白鳥庭園)

 

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名古屋の熱田神宮。11月の祝日ということもあり、七五三の家族が多かった。

 

上高地もそうだったが、大和の神社仏閣の境内は敷地が広く、高く大きな樹木に囲まれ、何ともいえない爽やかな気持ちになる。

 

 

娘婿が旅程の全てを予約や手配をし、そして車を一人で運転してくれた。ほんとに彼には感謝に耐えない。

 

 

 

 

 

最終日4日のお昼。

奮発して名古屋名物「ひつまぶし(特)」なるものをオーダーした。

 

”ひつまぶし”なるものは何か食べ方があったようで、娘に事前に説明は受けたのだが、「お父さんのは”うな丼”になっちゃっ」って言われてしまった。(;一_一)

 

(熱田神宮近くの鰻専門店「大和田」)

 

”なごやめしの代表的料理の「ひつまぶし」とは、関西風で焼き上げ、細かく刻まれたうなぎの蒲焼をお櫃に入ったご飯の上にどっさりと乗っけた料理です。1杯目はお櫃に入った「ひつまぶし」をお茶碗によそい食べ、2杯目はお茶碗によそったひつまぶしに薬味をかけて食べ、3杯目はお茶漬けにして食べます。店によってはお茶漬けの際に出汁がきいたお茶漬けにする場合もあり、店によってさまざまな味の違いを楽しめるでしょう。”(ネットより転載)

 

 

 

平和の礎で祖父と叔父に会う

  • 2019.04.14 Sunday
  • 18:06

JUGEMテーマ:家族のこと

 

 

一昨日金曜日のこと。カミさんはいつも通りの月2、3回のお出かけ。

 

仕様が無いから私は1人ででかけた。

 

行く先は糸満市の「平和の礎」。

 

ウィークデイはやはり混まない。

 

県道331号線一本で凡そ40分ほどで着いた。

 

 

 

 

 

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おふくろが元気な頃、一緒に来たときは、こういう便利なものは無かったような気がする。

 

「検索コーナー」

 

 

先ずは「出身地」そして「名前」。

 

名前と同じ住所で、一発だった。

 

驚いたのは「生年月日」と「亡くなった地」、「亡くなった日」が記載されていたことだ。

 

初めて知った、親族の詳細。

 

 

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ウチナーンチュの我々の世代は多かれ少なかれ、先の戦で家族の誰かを亡くしている。

 

我が與儀家もウーオジーと叔父二人を亡くしている。

 

亡くなった父も病で伏せている母も、戦のことは殆ど我々子供に話すことは無かった。

 

 

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