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空手考

普及型

JUGEMテーマ:空手道

 

我が沖縄の空手界では、流派を超えて修得を推奨している型がある。これを「普及型」と呼んでいる。

 

”普及型機↓供1941年、時の沖縄県知事の委嘱を受けて空手道専門委員会が発足。目的は伝統空手の普及発展のために初心者向きの平易な型を創作することであった。伝統空手の型は首里手も那覇手も共に初心者には難しく、普及伝搬の障碍となっているのでその打開策は時代の要請であった。そこで、首里手系の長嶺将真師範が「普及型機廚鯀楼討掘那覇手系の宮城長順師範が「撃砕」の型を一部改め「普及型供廚箸靴動儖会で公認された。”(「沖縄空手古武道事典」柏書房、2008年)

 

 

 

ところで、最近、「沖縄伝統空手道振興会」では上地流の「完子和」を「普及型」として認定した。当人間塾では「普及型機廚盪愼海靴討い襪、今後は上地流の完子和=普及型靴眩瓠垢忘里蠧れたいと思っている。

 

 

 

先日の全沖空連大会審判講習会(10/7)で、上地流の先生がたに、初めてその指導をしてもらったわけだが・・・

 

・・・もらったが、いやあ、正直、難しい。

 

これまで何十回、何百回と見てきたが、自分がやるとなると、なかなか身体がついていかない。<(`^´)>

 

おそらく、子供たちなら我々よりもっとはやく動作順序自体は覚えるのでは、と思う。^_^;

 

 

因みに、毎年、空手の日を記念して「演武祭」が今年も<那覇市内の国際通り>で10/28に行われるが、参加者全員による一斉演武の型が「普及型気鉢供廚任△襦E初、普及型靴皸貔同乕陲砲噺‘い気譴燭茲Δ世、時期尚早ということで流れたようだ。

 

 

 

 

 

”完子和(かんしわ):上地流系空手道の型。1950年代後半、上地完英(宗家2世)が考案。入門後「三戦」の次に教えられる初心者用の型である。基礎鍛錬型「三戦」から上位の型「十三(セーサン)「に至る、指導方法の体系化のステップとして考案された三つの型の中の一つ。上地流の手技は、小拳突き以外はすべて開手拳でなされるが、「完子和」には沖縄古来の手技とされる正拳突き、いわゆる閉手拳(ティージクン)がとり入れられている。上地流の型の中では正拳突きから始まる異色の型であるが、平手廻し受けや足刀蹴りが含まれるがゆえに、初心者用としては比較的難易度の高い型である。”(沖縄空手古武道事典)

 

 

 

 

  • 2018.10.11 Thursday
  • 10:29

空手考

習い事としての空手

 

年明けからこの時期には、いろいろ習い事を始める子供たちが多いと思います。

 

 

わが空手道場も例外ではありません。入門の動機は子ども自身が単純に望む場合や、親御さんが空手道場に何らかの期待を込め、入門させる場合があります。

 

入門当初、楽しそうに稽古にやって来る子。渋々、親に連れられてくる子。泣きそうに親に引っ張られてくる子など、いろいろです。しかしながら、渋々、連れてこられた子供たちでも、数週間もすれば大体は落ち着きます。それは、同じ年ごろの子供たちが居るからです。

 

 

尤も、何事にも例外はあるもので、入門はしたものの、稽古時間中、ずっとめそめそしたり、お母さんを恋しがって泣きっぱなしの子どもも確かにいました。それが、2週間ほど続くと、さすがにお手上げです。

 

低学年クラスでは、一般部の女性(お母さん)にもサポートしてもらっているのですが、諦めざるをえませんでした。(-_-;) 一人は県外からの男の子と、もう一人は女の子でした。

 

お母さんの期待に応えられない場合は、申し訳なく、忸怩たる思いで一杯です。

 

 

 

 

 

 

※ さて、次に紹介する記事は、2015年4月に同タイトルで紹介したものの再掲です。併せてご覧下さい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


どのような習い事、芸事、スポーツをやっていても必ず何度か遭遇する壁があります。所謂スランプとも言われているものです。面白くない、何だか行きたくない、楽しくない。・・・最悪の場合、辞めたい、辞める、に行きつきます。


次のような格言があります。「馬の首に縄をつけて水飲み場まで連れていっても、馬にその気がなければ飲ますことはできない」。 それと私の好きな言葉ですが「継続は力なり」です。


この二つは一見、相反するようですが実はそうでもないのです。やる気がない楽しくない或いは折れる気持ちがあったにしても、耐えて続けていけば結果は出るし、続けなければ結果は出ません。何だかんだ続けているうちに、ある時期その壁を乗り越えることがあります。いわゆる達成感です。アップダウンのその繰り返しを続けているうちに好きになって続けていくのです。

 

 

 

 

 

 

ところで、皆さまは(沖縄伝統)空手道場に何を望むのでしょうか。何を期待しているのでしょうか。自分の子どもに礼儀礼節を学んでほしい。自分に自信をもってほしい。心と身体を鍛えてほしい。いじめられるような子になってほしくない。いじめるような子になってほしくない。沖縄の伝統空手というものを学んでほしい。大方がそうではないでしょうか。


さて、ここでもう一度確認しましょう。本来の空手道場はあくまでも武術としての空手の稽古や鍛錬をするところです。子供たちへの指導法は大人と違うにせよ、それでもお友達クラブではありません。お遊戯クラブでもありません。


稽古中、子供たちによく言うことがあります。「此処はお家ではないよ」「学校ではないよ」「空手道場だよ」「君たちは何しにきているの?」・・・。


入門当初は何もわからないので、興味をもって只先生の言われるがまま動きます。仲間同士でわあわあやっていきます。しかし、時間がたつにつれ稽古の質も上がりメニューも増えていきます。
それがうまく出来れば良いがなかなかできない場合がある。他の仲間は良い線いっているのに・・・。


或いは何でかわからんけど先生に叱られた。面白くなくなる、楽しくなくなる理由は探せば各人各様幾らでもあるでしょう。辞めることはいつでもできます。只、その辞める理由が問題なのです。その状況状態から只単に逃げるがための退会であるなら、いつか又どこかで同じことを繰り返します。


時には、休むことも必要でしょう。無理して親が子供に強制する必要はありません。只、ひとつだけ言います。継続して長く休ませてしまうと99%は辞めます。10日に一度でも良い。2週間に一度でも良いのです。道場に行かせることです。



 

  • 2018.03.12 Monday
  • 15:48

空手考

空手考

 

継続は力なり:趣味や習い事は続けることで気付きや理解が深まり、より上達していく。正に「継続は力なり」だ。入門する者に言っていることは、「生涯武術と云われている沖縄空手の稽古は実に地味であり、時(とき)を要するものである。故にこそ、続けなければ意味は無い」と。

 

 

段位:旅の目的地に着くのは勿論楽しみだが、その道中過程にも多くの体験や出会いがある。昇段審査では、段位取得に向けた猛稽古そのものが肝要である。で、その後どうするか。その段位に恥じぬよう、更に日々の稽古に精進しなければならない。

 

 

呼吸:我々は普通、無意識に呼吸をしている。だが、武術に関わり合いのある者は日常的に呼吸を意識し、且つ、意識的に呼吸をするようになる。武術的な意味合いもあるが、ひとつには、それが健康に結びつくことを知っているからである。年をとり、体力筋力が衰えようとも、呼吸する事にはなんら問題ないからである。見回してみよう。昔からの健康法或いは健康に良いと云われている運動など、その殆どが呼吸を意識している。

 

 

サンチン立ち:沖縄剛柔流空手の基本は「サンチン」である。然るに、演武会や競技会を見るにつけ、多くの空手家が上体のみに意識がいき、下腿を疎かにしている。

 

 

制引戦:剛柔流の伝承型に於いて、最も四股立ちが多用される型である。故に鍛錬型とも云われている。而して、もし、己の型動作に於いてアップダウンが激しければ激しい程、肉体的体力的に「老いた」と自戒せねばならない。

 

 

私と型:強くなるために空手の世界に飛び込んだ。若い時は強くなることに憧れ、それを求めてきた。歳を重ねていくうちに「強さ」が「生涯続けたい」に替わっていった。そして今の私が在る。今現在の私が在るのは一つには「型」のお蔭である。恥ずかしながら若い頃軽んじてきた「型」のお蔭である。

 

 

沖縄空手の核:流派を問わず、かつて長老たちが口癖のように言い伝えてきた「型をやりなさい。型をやりなさい。」 この歳になり今更ながら実感する。沖縄の伝統空手の真髄は型の鍛錬に在る。型を通してこその生涯武術である。いや、型あってこそ生涯武術と成り得る。何十年何百年と連綿と受け継がれてきた、伝統芸術芸能と言われているものの多くが、頑なに型を守り伝えている。型から入り、徹底して型を身体に馴染ませる。そして次の段階に上る。それは年を経、肉体年齢が衰えても続く。

 

 

型は無形の鋳型:沖縄空手において型の重要性は言うまでもない。が、型はあくまでも「鋳型」である。型の反復稽古で身体を練り、そこから技・術を抽出、或いは引き出す。型は鋳型であるが、技や術は個の武才に依る。また、歳とともに変化していく。壁にぶつかれば型に戻れば良い。

 

 

型の分解・応用:型から技や術の展開の橋渡し役が、型の分解及び応用である。

 

 

接近戦:離れて打ち合う戦いは反射神経と体力勝負であり、若いうち或いは経験則としては良い。が、歳には勝てない。接近戦では、反射・体力戦から心理・頭脳戦へと変化していく。そして、この心理・頭脳戦は年期が入るほど巧妙かつ狡猾になっていく。

 

 

接近戦の要諦:短打や寸打、肘や膝、靠、交叉法、駆け引き、誘導などなど。

 

 

駆け引き(犬が東を向けば尾っぽは西):東からとみせかけて西から打突する。蹴ると見せて突き、上からと見せて下からなどである。

 

 

空手家の人格と品位:段位とその人の人格や品位は比例しない。

 

 

  • 2017.12.17 Sunday
  • 19:36

空手考

宮里先生の命日に思うこと

 

 

今日は、宮里栄一先生の命日にあたる。先生が亡くなられてから早や18年になる。ほんとに月日の経つのは早いものだ。

 

 

空手界、武道の世界の宿命ともいえる団体組織の長亡き後の変遷、離合集散。その渦中にある時は、それぞれの立つ位置を正邪の観念で捉えていた。が、この十数年を経て、必ずしもネガティブに捉えるべきでもないと思えるようになった。

 

 

諸行無常は世の常であり、物事の進化発展のエネルギーはその変遷、変化の中にこそ生じ内包されるものと考えるからである。

 

我が「沖縄剛柔流空手人間塾」が今現在、ここに在ることも一つの証左ではないか。と同時に、宮里先生の道場に入門したからこそ、また、現在の私、そして人間塾道場があるのも事実である。諸行無常の中における「縁」である。合掌

 

 

 

 

 

 

 

  • 2017.12.11 Monday
  • 11:23

空手考

型始めの姿勢

 

以下は沖縄伝剛柔流空手道(宮里栄一著)からの転載である。

 

 

演武開始用意の姿勢(p85-86)

 

昭和二十年(戦前)までは、直立して結び立ちの姿勢から両手を前で交叉して立ち、平行立ちになりながら両手を握りしめつつ体側(両もも)の外に手の甲を外側へ向けて立った姿勢から開始した。

 

 

(旧の姿勢)

 

 

昭和二十三年より宮城先生によって直立して結び立ちの姿勢で両手を前(臍下)で交叉したままの姿勢から演武を開始するように改められた。

 

(改めた姿勢)

 

 

結局、形を終わったときの姿勢と始めるときの姿勢を同一に改めた。

 

終戦後の食糧難・交通・通信不便のため徹底することは困難であった。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

大和を始め沖縄県内の多くの剛柔流系の道場で、平行立ちから始まるのを見て、単純に「そうなんだ。平行立ちから始めるんだ!」ぐらいにしか思わなかった。当時もそうだが、沖縄県内の規模の大きい大会でもやはり、開始姿勢は平行立ちだった。

 

しかし、十数年前、先生の本を読み返した時、「ああ そういう経緯(いきさつ)があったんだな」と、その時納得した。

 

 

我が人間塾では伝承型の開始姿勢も、宮里先生の教えを踏襲している。(但し、参戦する大会競技会により規制があればそれに準ずる)

 

 

 

 

 

 

  • 2017.06.02 Friday
  • 19:00

空手考

型の表記や呼び名などなど、あれこれ

 

先日のコメント欄にも書いた「セイユンチン」からの連想である。

 

 

門派会派や道場によっては制引(弓)戦、征遠鎮と書いて、セーユンチン、セイエンチンと呼んでいる。(恐らくはもっとあるかもですが・・)

 

 

因みに、来年開催予定の「沖縄空手国際大会」では、おそらく那覇手系は漢字表記はなく、「セーユンチン」「セーエンチン」の併記になると思われる。(注:大和にも那覇手系が伝わり門派はできたが、沖縄では那覇手系(ナーファディ)といえば、通常は剛柔流のことをいう。)

 

 

 

大体、空手の型の漢字表記や呼び名は、幾通りもあり何が正しくて何が間違いかではない。表記、呼称、そして演武も結構、異なる。

 

本来、沖縄においては型の漢字表記(当て字)は無かったわけで(型の呼称しかなかった)、それが大和に伝わり、漢字表記され、そして時を経て多くの先生方を介するうちに変わってきた、というのが実状だろう。

 

 

そういう意味では、型(古伝、伝承型)の名称に限らず、四股立ち、猫足立ち、前屈立ち、上段受け、外受け内受け、手刀、掌底、足刀蹴り、などなど、立ち方や姿勢、或いは技の呼び名など、大和からの輸入、借りたものだと思われる。

 

大和に伝わる前のウチナア―、リュウキュウでは、ここはこういう風にやるとか動くとかで、指導或いは説明していたのではないか。

 

 

 

さて、ハナシを制引戦に戻して。。。

 

この型は我が剛柔流では唯一、蹴りが無く、又、四股立ちの多用及び連続動作が多く鍛錬型といわれている、ということは何度か述べてきた。また、先生方の「老い」を判断する一つの目安ともなると・・・。(四股立ち連続動作での激しいアップダウン。小生含め剛柔流の・・・)汗

 

 

(制引戦での四股立ち下段払い。キャプチャー)

 

後、何年、いや、幾つまで、この姿勢で型ができるのか? 楽しみである。(^_^;)

 

 

 

ところで、道場への入門後、幾つかある型を修得していくわけだが、門派や道場によってはその順序が多少違う。

 

例えば、かつて小生が通っていた「宮里道場(順道館)」では、ゲキサイイチ、ニ、サイファーの次に、このセイユンチンを稽古させられた。そして、この型を修得しないと初段は受けさせてもらえなかったのだ。尤も、当塾では考えがあり、多少順序は替えている。

 

 

  • 2017.05.24 Wednesday
  • 10:12

空手考

難儀は若いうちに・・・

 

「てぃーぬ なんじや わかさるうちに しーびーちーどぅ やる」

 

 

沖縄の伝統的な空手を修得するには、その流派或いは道場に伝わる稽古法や鍛錬法を時間をかけ、師より真摯に学ばなければならない。

 

 

初心者を前提として考えると、一定期間、スポーツ空手と伝統空手を稽古している者同士、試合をさせれば余程のことが無い限り、スポーツ空手の者には勝てないだろう。

 

スポーツ空手と伝統空手では、その目的趣旨が違う。となれば、当然その稽古鍛錬方法も違ってくる。

 

 

誤解しないでほしいが、どちらが優れているというものではない。立つ位置が違うのである。

 

 

 

 

ただ、スポーツ空手や競技中心の空手家としての寿命は短いと、謂われているのも事実だ

 

 

歳老いても空手を続けたくば、若いうちにしっかりと基本を鍛錬し難儀すべきである。歳を経てから基本を修得しようとしても、肝心の身体が追いていけないのだから。。。(基本については「基本が大事?」を参照されたし。)

 

 

 

  • 2017.04.07 Friday
  • 14:23

空手考

基本が大事?

 

 

「基本が大事」とはよく耳にする言葉である。所謂、建造物でも土台がしっかりして初めて、それは建つ。そうでなければ、砂上の楼閣である。

 

 

しかし、空手を始めたばかりの者にとって、言葉そのものは師に言われ、「あ〜そうか」と分かったつもりでも、本当に理解するには時間がかかる。

 

 

師の教えに素直でない者は「何でこんな練習ばかり時間をかけるんだろう?」と内々不満を持ち、全力で取り組まない。師を信頼し、追いていく心構えがないと、伝統的な沖縄空手の鍛錬稽古の意義意味は分からない。

 

 

 

 

その動きを時間をかけ身体に練りこみ、その動き意味を理解し、そして活用していく。

 

 

例えば、沖縄剛柔流なら、予備運動や器具及び補助運動、そしてサンチンで身体をつくり、型の鍛錬修得及び用法技法の探究に入っていく。その鍛錬過程で気付くものは気づく。「なるほど」と。

 

 

 

※ 因みに、画像の玉無しタマちゃんには何の意図もございませんので、あしからず。(-。-)y-゜゜゜

 

 

  • 2017.04.05 Wednesday
  • 13:49

空手考

合気道

 

 

合気道教室に一年ほど通ったことがある。6年ほどまえのことだ。

 

ご承知のように、我が剛柔流空手には接近戦に用いられる技が多数ある。合気道から学ぶべきことが多々あると考えてのことだった。

 

 

 

 

 

 

剣道、柔道、そして空手は競技・試合をすることで普及発展してきた。空手には、「スポーツ空手とか武道空手」とか言われることはあるが、「スポーツ剣道、スポーツ柔道」とはあまり聞かない。考えれば奇妙ではある。(くどいようだが、沖縄の伝統空手の普及は大和のそれとはやや異なる。)

 

 

 

さて、武術の中で唯一、競技試合をしないで普及発展したきたものがある。それが、合気道であり少林寺拳法である。

 

 

私が驚いたのは、その指導法というか稽古の方法である。

 

 

指導員のもと基本動作を暫く行い、そして先生の指導が入るわけだが、先ず先生の訓話というか講釈が始まる。そして皆の前で技を一つ披露する。それを見て、弟子達が相手を見つけ二人で稽古を始める。

 

止めの合図で又、正座して訓話を聞く。(これが実に長い。ゴムマットの畳とはいえ10分から15分は長い。)その後、技の披露。このパターンを繰り返す。

 

 

私が通ったのは一か所だけであり、他の合気道の道場がどうなっているのかは知る由もない。ただ、やはり合気道は「良い」と思う。

 

一つ気になると云えば、道着(胴着)だ。道着の生地が柔道のように厚い。黒帯だと袴を着るやもしれぬが、着脱が大変そうだ。沖縄では暑い。

 

 

 

沖縄の伝統的な空手道場の稽古法とは「随分、違うなあ」と思った次第である。

 

 

  • 2016.12.13 Tuesday
  • 11:15

空手考

空手

JUGEMテーマ:空手道


強くなるために空手の世界に飛び込んだ。


若い時は強くなることに憧れそれを求めてきた。


歳を重ねていくうちに「強さ」が「生涯続けたい」に代わっていった。



そして今の私が在る。


今現在も私が在るのは一つには「型」のお蔭である。


恥ずかしながら若い頃軽んじてきた「型」のお蔭である。


もうひとつは空手を続けたいとの想い、その想いをより強固にする為、そして己を追い詰めるために「人間塾を立ち上げた」ことにある。





空手ときってもきれない環境に今私は居る。



生きる上でその人の支え、或いは生き甲斐なるものは、それはそれで多種多様な手段や方法があるだろう。


私にとってはそれが「空手」だった。「沖縄の剛柔流空手」だった。


今にして想えば、やはり出会うべくして出会ったのであろうか。






人間塾の空手は正に「人間」「塾」と謳っているとおり、「人生哲学」であり「人間教育」である。


 
  • 2016.03.27 Sunday
  • 18:24